諸井地区について
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○諸井地区の成り立ち

  諸井地区は小笠山に連なる台地の突先として古くから人の住んでいた地区であり
 団子塚や北原遺跡など縄文・弥生時代の墳墓も見つかっています。十二所居館遺跡
 などから判断すると浅羽荘が成立する頃には平地にも集落が出来つつあったようです
 が、諸井という地名は室町時代になってから登場しています。

  諸井地区は熊野神社系の山名荘に属していたため、八幡神社系の浅羽荘とは
 境界がはっきりと明示されていた様です。名前の由来は「諸井川(原野谷川の別称)
 の井戸」や「諸々の居」など諸説あります。

  江戸時代には上諸井村、下諸井村、そして上諸井村の分地だった八坂新田の3つの
 集落があり浅羽33ヶ村に数えられていました。明治8年(1875年)の合併で山名郡
 諸井村、明治22年(1889年)4村合併で磐田郡上浅羽村の大字となり、その後
 浅羽町、袋井市の大字となり現在に至っています。

  ちなみにここいらへんに在住の諸井氏の一門は、かつての遠州今川氏の末裔です。
 また西尾氏の一門は横須賀の西尾公に連なると言われています。
 
  また諸井地区にはお盆の終わりに金勢様のハリボテを用いた精霊送りの儀式が
 あったと言われています。町内をくまなく回って残った祖先の霊を送り帰すという
 名目だったらしいのですが、昭和30年代に絶えてしまったとのことです。


 
○諸井地区の神社と曳き物

  現在諸井地区では諸井上の王子神社の氏子として祭礼時に御所車型屋台を
 曳いています。

        祭日:10月 第2土・日曜日
        会所:諸井公会堂(王子神社境内)
        屋台:御所車型2輪屋台
            昭和52年(1977年)新造の2代目
            平成18年(2006年)に手木を詰める等の改修
           子供屋台
            4輪


  日曜日は正午からカラオケ大会があり、地元の喉自慢たちで盛り上がります。
 浅羽町が袋井市と合併した平成17年より地区北側の袋井市柳原地区と屋台が
 合流する様になり、その後も行動するエリアを広げていっている様です。


 以下が各地区の神社になります。


   王子神社(旧称 若一王子権現社) 上諸井村
     
     祭 神:天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)
     旧祭神:若一王子権現
     創 建:不詳 最も古い棟札は元禄8年(1695年)9月
     祭 日:10月 第2日曜日 (旧暦11月18日)
     境内社:諏訪神社、津島神社、月読神社、八頭面神社、金山彦神社


   八雲神社(旧称 牛頭天王社) 下諸井村
     
     祭 神:素戔鳴尊(すさのおのみこと)
     旧祭神:牛頭天王(ごずてんのう)
     創 建:不詳 最も古い棟札は元和5年(1619年)8月
     祭 日:7月 第2日曜日(旧暦7月14・15日)


   水神社  八坂新田
     
     祭 神:水速姫命(みずはやひめのみこと)
     創 建:宝暦4年(1754年)
     祭 日:10月 第2日曜日










王子神社


八雲神社


水神社
○お寺とその他史跡など


  医光山心宗院  上諸井村
     本 尊:子安地蔵菩薩
     開 基:天文11年(1542年)
         草創:庭柏
         開創:可睡齊第11世仙麟和尚
     宗 派:曹洞宗
     本 末:可睡齊末
     備 考:大正11年(1922年)それまで原野谷川堤防にあったものを堤防改修で
         現地に移したといいます。現在の地は「十二所居館遺跡」と呼ばれる
         遺構で、13世紀後半〜16世紀後半まで断続的に用途を変えて利用
         され、今川氏や徳川氏が関わったと言われています。遠江41番薬師が
         祀られており隔月で薬師講が行われているそうです。


  宝虎山長昌寺  下諸井村
     本 尊:観世音菩薩
     開 基:天正18年(1590年)
         草創:秀達
         開創:可睡齊第12世禅易和尚(文禄元年 1592年)
     宗 派:曹洞宗
     本 末:可睡齊末
     備 考:ルンビニ保育園として地元では有名です。門前にある秋葉灯籠は
         寛政8年(1796年)9月建立。境内に地蔵菩薩があり隔月で道元講が
         行われているそうです。


  大学院  下諸井村
     本 尊:主尊・不動明王立像 右脇侍・役行者像 左脇侍・理源大師聖宝像
     祭 神:金山権現 宇賀弁財天
     創 建:不詳 最古の墓地が元和2年(1616年)
     袈裟筋:伊勢世義寺
     備 考:かつての修験者の坊。明治5年(1872年)の修験道廃止令により
         全ての活動をやめてしまいましたが、それ以前は上浅羽地域で
         人々の生活に深く関わってきました。全盛時は金山権現社だけで
         なく、王子神社、八雲神社、楠宮、岩松寺奥の院である浅間社の
         祭祀権を有していたそうです。廃仏毀釈運動が高まった際に本尊は
         岩松寺に預けられ難を逃れたと言います。


  諸井の「蓙松(ござまつ)」 下諸井村
      江戸時代に「遠州三名松」に数えられた名松。別名「平松」「披松(ひらきまつ)」。
     高さ1丈3尺(約4m)、幹周り9尺(約2.7m)、枝の先から先まで40間(約72m)
     という巨木で田に浸かる枝先もあったそうです。横須賀城主西尾公がこの松を
     求め、横須賀城内に移そうとしましたが災いが続いたので諦めたという話も
     残っています。残念ながら明治の初期に枯れてしまい現在では跡形もありません。
      諸井と浅羽の境にある水路に架かる橋(県道の旧道側)は「開松(ひらきまつ)
     橋」と名をうたれていますが、その銘板は橋の横に小さくあるだけですので
     なかなか見つけることは難しいと思われます。
      なお、街道の西側約50mの水路の北側にあったと言われており、現在の
     県道から西へ50mの地点が在地であったとされていますが、往時の道路である
     横須賀往還はこの橋から50m近く東にあるため、案外開松橋のある場所が
     その所在地だったのかも知れません
    
      なおこの水路はその昔、浅羽荘と山名荘の境でした。



○参考文献 
☆印:浅羽図書館で閲覧できます      




医光山心宗院



宝虎山長昌寺



大学院(辻堂)



開松橋
   
 ☆浅羽町史(通史編) 浅羽町
 ☆浅羽町史(民俗編) 浅羽町
 ☆広報あさば 浅羽町
 ☆浅羽の今昔 柴田 静夫 氏著
 ☆白羽草 原田 和 氏著
 ☆浅羽風土記 原田 和 氏著
 ☆ふるさと諸井の歴史と伝承 諸井老人会 諸井地名会
 ・地元の方々のお話し・・・・・ いろいろとありがとうございます。